「音楽を通して自分も「社会や人に貢献したい!」」
──そんな浮き沈みもあった15年のあいだ、ヨエコさんにとって音楽はどんな存在になっていたか改めて聞かせてください。
ヨエコ:現役中は、表現する側、曲作りに追われる身だったので、ゆっくり音楽を探す暇もなく……。引退後は時間ができて、リスナーとして、真の音楽の楽しさと出会えたのは精神的支柱となり、助けられました。もはやこれも、音楽療法ですね。一気に600枚くらいのCDと200冊くらいの音楽関連本を収集した時期もありました。8割がJAZZ、あとはR&B、Soul、Classic……色々です。色々なジャズバーへ通ったり、好きなアーティストが来日した際は、観に行ったり。「音楽ってはちゃめちゃに素晴らしい!」と感じ、聴き手としては成長したのかもしれません(笑)。しかし、どんなに心に染みる曲を聴いても(まだ診断が下る前)ただの一曲も浮かびませんでした。「ああ本当に書き切ってしまったんだなあ」と、その時は、改めて思いました。
──では、2000年から2008年の廃業に至るまでの8年間は、今振り返るとどんな日々だったなと思いますか?
ヨエコ:がむしゃらで猪突猛進でしたね。幸せな事もあったし、きつい事もあったし、でも親友に出会えたり、私のこんな音楽でも聴いて下さる方々がいらっしゃったという事……、大変貴重な人生経験、勉強をさせて頂きました。あまりに無我夢中だったので、セルフカバーしながら「よくこんな曲できたなあ」と、感心しています(笑)。とにかく、至らないなりにも「頑張ってたなあ」と。「ご苦労様でした」と小さく労ってあげたいです(笑)。
──そんな倉橋ヨエコ時代の音楽活動の終止符となった、2008年7月20日 東京キネマ倶楽部でのライブはどんな思い出になっています?
ヨエコ:競技場に戻って来たランナーのゴールでしょうか。ファンの皆様からの声援を頂きながら、解体というテープに向かって笑顔で真っしぐら。2000年1枚目のアルバム『礼』を発売した時、私を知る人なんて0の状態から、最後はキネマ倶楽部2days満員まで来られた、感謝のジェットコースターのような思い出となっております。あと、最後に、ファンの方とMCや曲を通して対話ができたNO.1のライブだったと思います。
──そこで音楽活動を終えるまでの倉橋ヨエコは、どんな音楽家/表現者だったなと思いますか?
ヨエコ:単純明快・激的な愚直ですね。自分が経験して想った事を歌にしているだけでしたから……って言うのは、今も一緒ですが(笑)。前はサウンド面はお構いなし。今はちゃんと音楽的なバランスも考えるようになりました。
──それは、この15年で様々な音楽を吸収してきた影響でもあるんですかね?
ヨエコ:あると思います。理想の音楽だけは(笑)増えました!!それが自分に歌えるかはさておき、真似したくなるような痺れる歌が世界中に一杯あります!!こんな感覚、昔はありませんでした。
──倉橋ヨエコ時代最後のインタビューで、「『解体ピアノ』という今回のアルバムで、倉橋ヨエコの言いたいこと、表現のすべてを出し尽くし、もうこれ以上のモノは出来ない。一番煎じの状態で私は「倉橋ヨエコを廃業します」と言いたい」と仰っていました。今回ヨエコとして復帰したということは、また音楽を通して表現したいもの、一番煎じの状態でお出しできるものが沸き上がってきたからなんでしょうか?
ヨエコ:色々な音楽に触れ、「交配種の新茶ができた!」という感じでしょうか。とりあえず、ニューアルバム『ニューヨエコ』に入っている新曲「ドーパミン」は、どう作ったか記憶にないので、とてもお薦めな曲になったと思います。以前からそうなんですが、どうやって作曲したのか何一つ覚えてなく、あっという間にできた曲=天から降りて来た曲は、自分の中で名作だと思ってます。
──また、当時のインタビューで、「自己中に自分の気持ちをただひたすら訴えて、他人のことを一瞬も考えないという非常に悪質な歌をうたってきたわけですから(笑)やっぱり最後までその姿で有りたいと思った」と仰っていたのですが、今後もそのスタンスは変わらず?
ヨエコ:そうですね。新曲「ドーパミン」も、リアルな自分の気持ちを歌い上げていますが、病気になり考えが広がりました。同じ障がいの方、似ている症状の方へ、気持ちが少し分かるからこそ、何かエールやメッセージも込めたいと思うようになりました。
──倉橋ヨエコは「そのまま正直でい続けたらいずれ死ぬよ」って言われても「じゃあ、私は死んだ方がマシです」って言えるんですよ。だから正直さを貫けないことに比べたら(廃業は)全然怖くない」と音楽の世界から去っていきました。あれから15年、その難しさを日々の様々な場面で痛感してきたと思うのですが、今回のヨエコとしての復帰もまたその正直さを貫く為の選択だったんですかね?
ヨエコ:はい。復帰を決意した最大の理由は、こんな微々たる力ではあるけれど……音楽を通して自分も「社会や人に貢献したい!」と言う事です。今後も、以前とはスタンスは違いますが、自分にド正直な活動をしていきます。