ヨエコ

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「いいですか?よく聞いてください。会社へはもう行きませんよ。仕事はしませんよ」

──凄い!これもまた音楽の力ですね。

ヨエコ:はい!貴重な出来事でした!ただ、帰宅して日常に戻ると、また歌声は出なくなっていました。その後、教員免許が取れて講師登録をしておりましたが、教育委員会から即お声がかかる訳ではなく、そのまま待ってもいられず、銀行の本部で働く事になりました。そこでまた、地獄が待っていました。

40〜50代中心の女性が40人程働く部署に入りました。その当時はまだ30代で部署内では若い方でした。昔受けたいじめが頭に過ぎり、目立たないように深く関わらないように、静かに背を丸めて働いていたつもりでした。しかし、前職が歌手と言う珍しさと……(申告してないのにおそらく調べたりされていたんでしょうね。これが“倉橋”を捨てたい理由でした)それに加え、仕事ができる優秀さも、人と上手に付き合う能力もなく、気付いたら、先輩からも後輩からも、集団でいじめられる日々になっていきました。私の前にいじめられていた若い方は、最後は失踪したと聞きました……。当然、ストレスフルな毎日で、歌声も出ないままの状態が続きました。この頃一番病状がひどく、仕舞いには、ろれつも回らず話す事も難しくなっていきました。

会社にいる時は呼吸が乱れ、何回もえずいては、トイレに駆け込む日々。色々ないじめを受けましたが、必死に耐えるそんな姿を見て、皆、笑っていました。まるで、人が壊れていくゲームを楽しんでいるかのように。そんな銀行勤めは二年が過ぎようとしてました。

この頃には、「もうこの世から消えてしまいたい」と言う気持ちがどんどん増幅しておりました。唯一の癒しであった行きつけのマッサージのセラピストさんが何も話していないのに「私だったらこんな身体で、働く事はもちろん、日常生活もまともにできないと思います。よく頑張られてますね……」と言ってくれました。

それでも、仕事に責任を感じつつ、生活もあるし、しかし、もう疲れてしまった……、どうしたら人に迷惑をかけずに死ねるだろうかと、場所や道具を探すようになりました。川崎さんをはじめ友人から精神科にかかる事を勧められ、近所の心療内科やメンタルクリニックに電話しましたが、予約で一杯。一ヶ月待ちなところもありました。しかし、電話した際、親切なスタッフさんから「大学病院なら、長く待たされるかもしれないけれど、必ずその日中には診てもらえますから、行かれてみてはどうでしょう?」と教えて頂きました。偶然にも遠くない場所に、大学病院があったので、半信半疑で診察を受けることになりました。

──診察結果は?

ヨエコ:医師は開口一番「重度のうつ病です。入院してください。」と仰いました。入院できるほど経済的に余裕はなかったので、事情を話すと、「では、週一で通院にしましょう。次の月曜日来てください。」と言われました。「月曜日は仕事で行けません……」と私が言うと、医師は「いいですか?よく聞いてください。会社へはもう行きませんよ。仕事はしませんよ。診断書を書きます。」と諭すように言いました。正直「???」思考がまとまりませんでした。訳が分からないまま、帰宅し、会社に何と説明すればいいのだろう?入院してどうなるの?と思いながら、川崎さんに報告しました。

話しているうちに、そうだ、医療保険に加入していた……と思い出し、無理だろうと思いながらコールセンターに電話すると、精神科の入院でも保険が降りるとの事。何かあっても、私には援助してくれる家族はいない事は分かり切っていたので、20代のころから医療保険に入っていたのでした。次の診察の際、入院できそうですと医師に伝え、入院になりました。

会社側からしたら、結局、私もいきなり来なくなった、失踪した方と同じだと思い、申し訳なさで一杯でした。ただ、頑張って一年半以上勤めた事により、傷病手当が出ると言う事で、生活面も安心でき、入院に向けて準備が始まりました。

川崎さんが、入退院の流れから、役所への相談、退院後サポートをしてくれる福祉サービスまで、頭の働かない私に変わってあちこち電話して聞いて、動いてくれました。私の事を「家族みたいなもんだよ〜」と言ってくれ、入院当日も川崎さんが付き添い、大荷物を一緒に運んでくれました。

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