ヨエコ

[公式インタビュー]ヨエコが語る、15年間の過酷な日々と復活の経緯。「頭が回らなく記憶も悪くなり、できない事は沢山増えました。でも、ただ、声が出る。歌える。神様が声を返して下さった。」

2023/9/15 公開

 倉橋ヨエコ、アーティスト廃業宣言。そして、2008年7月20日 東京キネマ倶楽部での解体ライブから15年──新たな“生きる価値観”をその身に宿し、名義を“ヨエコ”に変え、彼女が音楽シーンに帰ってきた!

 廃業後も多くのリスナーやアーティストに影響を与え続けてきたヨエコさん。15年前、どんな想いで音楽活動に終止符を打ち、それからどんな人生を送り、再び音楽を生み出すことに至ったのか。当時のファンも、廃業後にファンになった人も、ツイッターでバズっていて「え、誰なの?」と思った人も、ニューアルバム『ニューヨエコ』と共にぜひこの10000字インタビューを堪能して頂き、ここから始まる新たな物語にご参加ください。

(インタビュー・構成=平賀哲雄)


「好きなアーティストの曲を聴いたり、ライブに行ったりすると魂が喜ぶ」

──おかえりなさい。まず15年の時を経て再び音楽の世界へ戻ってきた、今の心境を聞かせてもらえますか?

ヨエコ:今の心境は率直に言うと、浦島太郎気分です(笑)。CDが売れなくなった事は大変寂しいですが、ネットで誰でも気軽に音楽を発信できて、素晴らしい才能にすぐ出会える時代になったと思います。あと、歌い手、ボカロP、VTuberという新しい職業がある事も「近未来的だなあ」と感心しております。また、若い世代の方は、特定のアーティストのファンという訳でなく、YouTubeやサブスクなどで出て来たお勧めで「いいな」と思った曲を聴いているという傾向も「昔と違うんだなあ」と感じました。

──確かに当時は想像も出来なかった状況になっていますよね。ちなみに、この15年間はどんな人生を過ごされていたんでしょう?

ヨエコ:生活環境が変わり、何年にも渡りストレスで声が出なくなったり、体調不良で入退院を繰り返し、リハビリ生活を送っていました。去年の今頃も、非常に辛い時期で「人生を終えてしまおう」と何度も考えていました。それでまた入院となってしまいました。しかし、最初から病んでいた訳ではなく、引退直後は張り切って通信制大学に入り資格を取得したり、一般企業で働いていた時期もあります。

──具体的には、どんな資格を取得したり、どんな仕事をしたりしていたんですか?

ヨエコ:仕事と持病は関連性があるので、割愛せずお伝えします。長くなりますので、休み休み読んで下さい(笑)。まず、資格というのは、特別支援学校教員免許です。教諭は無理でも、せめて講師になれれば……と思い大学で勉強をしながら、発達障がいのあるお子さんたちをお預かりする児童福祉施設で働き始めました。 皆、音楽が好きで、私は色々なレクリエーションでピアノを弾いたり歌ったり。 勉強になると共に、発達障がいの子どもたちの愛すべき姿に触れ、共感・感動、時には切なさ……色々な感情に染まりました。そして、音楽療法の時間に、子どもたちが治癒される様子を目の当たりにし、音楽は医療だと再認識しました。それは、障がいがない人も、好きなアーティストの曲を聴いたり、ライブに行ったりすると魂が喜ぶ、これも音楽療法と同じだと思うんですね。私は歌詞も曲も「アンパンマンのマーチ」が大好きなんですが、大人向けなアレンジで弾き語りの練習をしていたら、聴いていらっしゃった施設長が泣いていました。ほどなく、働きながら、小さくても音楽活動をしていけたら良いなと、考え始めました。

一見、充実した日々でしたが、試練はすぐやってきました。一言で言うと、ストーカーにあうことになったのです。そのストレスから、声が出なくなりました。話す事は何とかできても、歌声が全く出なくなり、長い長い悪夢が始まりました。最初は、ストレスが原因なんて思い付きもしなく、声帯に異常があると思い、東京中の名医と言う名医に診て貰いましたが、どこに行っても声帯は大丈夫だと言われました。今思うと、ごもっとも。しかし、その当時は異常はないと言われても、実際声は出なく、どうしたらいいのか分からない。もう歌えない人生になってしまったの?……と、未来が見えなくなり本当に苦しかったです。しかし、一人の医師だけ半夏厚朴湯(いわゆるストレス玉、のどに何か詰まっている違和感のための漢方)を出してくれた病院があり、環境が変われば声も出るのかなと思い、引っ越しを決意しました。遠隔地だったので、施設は退職する事になりました。

──苦しい選択だったと思います。

ヨエコ:そうですね……。ちなみに、インストバンド「ササニシカ」さんのドラマー川崎綾子さんから、「アルバムを作るから、少し歌ってみない?どんな声でも大丈夫!気晴らしにスタジオ遊びにおいでよ!」と言われて、3曲ほどコーラスで参加する事になりました。声が出なかったらどうしよう……と思いつつも、この曲ならこんなフレーズが合うんじゃないか?とわくわく考えていたり、レコーディング前後川崎さんの家にお泊まりに行ったりしていたら、久しぶりにアドレナリンで湧き立ちました。当日、スタジオに行き、マイクの前へ。その時です。何年かぶりに何事もなかったように、歌声が出たのです!

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