[公式インタビュー第二弾]ヨエコが語る、15年ぶりの活動再開から今日に至るまで。「これからも自分の歌がファンの皆様の為のテーマ曲になるように歌っていきたいと思います。どうぞ皆様の人生にこの歌達を連れて行って下さい。」
2025/6/10 公開
15年ぶりの活動再開発表直後に実現し、今日に至るまでの壮絶な日々とニューヨエコとしての音楽人生への想いを語ってもらったインタビュー(https://yoeko.jp/interview1.html)から約2年。活動再開後初のアルバム『ニューヨエコ』にファンとの再会を遂げた【ニューヨエコショー プロローグ編】から始まり、持病を抱えながらも初のファンミーティングや大手町三井ホールでのワンマンライブ【ニューヨエコショー 2025~ラプソディ~】を開催し、楽曲制作にも力を注いできたこの期間について振り返るオフィシャルインタビュー第二弾をここに公開する。
最新作である両A面ニューシングルCD『Country Color/Doremi Song』や6月15日に渋谷・伝承ホールにて開催される【ヨエリストミーティング 2025 in Tokyo】についても言及してもらっているので、ぜひご覧いただきたい。
(インタビュー・構成=平賀哲雄)
「思い切り大きな声、低い声、高い声は出るが、私には真ん中がない!」
──15年ぶりの活動再開発表から約2年。ここまでの日々は、ヨエコさんにとってどんな期間だったと感じていますか?
ヨエコ:ファンの皆様が温かく見守って応援して下さり、歓喜感謝の日々でもあり、また、音楽を通したリハビリのような期間でもありました。レコーディングもライブも、倉橋時代はピアノを弾きながら必死に歌ってました。歌は二の次で、ピアノをミスしないか、そればかり考えていました。しかし、ピアノが弾けなくなり、この約2年、歌とだけ向き合って来て、あんなに気にしていなかった歌う事というのが難しく分からなくなってました。
年齢が関係するのか、7~8年も声が出ないブランクがあったからか分かりませんが、思うように歌えなかったり、できないことも増えてショックを受けたこともあります。しかし、昔の歌い方が正解と言う訳でもないですし、まだ遠いですが、今はやっと理想の歌が見えてきました。今は折り合いをつけて、現在の自分が唄える歌で表現していこうと思っている日々です。
──今のヨエコさんにとって「理想の歌」とは、どのような歌なんでしょう?
ヨエコ:昔は歌で困ったことがなかったので、ボイストレーニングに行ったことはありませんでした。ただ、一度だけ超メジャーなボーカリストの方々も通う偉い先生に、ディレクターさんが5分だけ時間を下さいと、当時の私のCDを持って行き聴いて頂きアドバイスを貰いました。その先生曰く、「桑田佳祐さんの『TSUNAMI』、平井堅さんの『瞳を閉じて』の出だしを聴いてください、出だしです。と伝えて貰えば分かるでしょう。」と仰ったそうです。次の日、私は、2曲のシングルを買ってきて何十回も出だしを聴きました。結果……当時は何も分かりませんでした。
しかし、廃業から15年経過途中でようやく分かりました。私にはミドルボイス(優しさ・温かさが出る歌い方)が無かったのです!出だしから目一杯チェストとヘッドだけでガンガン歌っていたのです。それを1番分かり易く言い当ててくれた方がいます。リハビリ施設デイケアに通っていた時、カラオケクラブというクラブがあり入っていたのですが、大概の仲間は「倉橋さん歌手になれるんじゃない?笑」など、お褒め頂いたのですが、1人だけ「ん~なんか怒って歌ってるみたい」と感想を言ってくれた方が居ました。
そこでやっと悟ったのです。思い切り大きな声、低い声、高い声は出るが、私には真ん中がない!と。つまり、ミドルボイスが無かったのです。どうしても楽曲上声を張り上げる曲が多いですが、優しく暖かく歌えることも理想の1つです。あとはタイム感やフェイクが上手くなりたいです。
──活動再開後初のアルバム『ニューヨエコ』からヨエコさんの第二の音楽人生が始まったわけですが、今、自分の中であの作品はどんな存在になっていますか?
ヨエコ:アルバム『ニューヨエコ』は、ずっとご一緒したかった、Aggressive Jazz Trio「Re-Trick」の皆さんに演奏して頂け、夢がまた一つ叶った作品です。特にピアノのアレンジャー菅原敏さんのアレンジが素晴らしく、歌っていて胸がときめくわくわくが沢山詰まった作品になりました。ジャケットも、大好きなイラストレーター土屋みよさんに描いて頂け、これも飛び切り嬉しかったです。まさに「ニューなヨエコ始動!」という存在です。
──そして、そのアルバムを携えて、まずは2024年4月に【ニューヨエコショー プロローグ編】を開催。ファンとの再会、倉橋ヨエコ廃業後にファンとなった人たちとの初対面を果たしました。思い通りに声が出ない中でのライブとなりましたが、あの日はどんな気持ちでステージに立っていたのでしょう?
ヨエコ:ファンの皆様から「お帰り!ありがとう!」と声が聞こえて、そんな泣けてしまうお言葉を頂いたからこそ、急な喉の不調で自分のベストが出せず、とても悔しく申し訳なく思っておりました。しかし、皆様からがっかり感はなく、物凄い真剣な眼差しを浴びて、「もう声帯がどうなってもいいや!今自分が出せる声で歌おう!いや、音程が出せないなら、もう歌詞を叫ぼう!」と思いました。中止する事は一切考えませんでした。
──個人的には、本編最後「楯」をひとつひとつ大切に人生を積み上げるように歌いきる姿に感涙しました。母親への想いを歌にした楽曲でしたが、今はどんな想いが溢れるナンバーになっていますか?
ヨエコ:「楯」は今はもう私の手を離れて、皆さんの人生のテーマ曲になっていると思います。皆さんにも大事な人がいらっしゃると思います。どう表現したら良いか分かりませんが、ファンの皆さんに捧げた曲の1曲です。